生瀬勝久:プロフィール
生瀬 勝久(なませ かつひさ、1960年10月13日 - )は、日本の俳優。兵庫県西宮市塩瀬町生まれ。兵庫県立宝塚高等学校を経て同志社大学文学部社会学科卒。キューブ所属。趣味は釣り。
妻は堀本陽子(モデル)。母は元日本社会党西宮市議。兄は大学教授。
佐藤二朗、古田新太に並ぶ、個性派俳優の一人に挙げられる人物である。
映画、テレビ、ラジオ、舞台で幅広く活躍。コミカルからシリアスな演技まで全てこなす。特に、テレビドラマでは、1年間で生瀬を見ない年はないくらい、1クール毎にどこかのドラマで名脇役ぶりを発揮している。その演技力には定評があり、主役よりも役がはまる場合も多い。また、独特のキャラクターを生かしてバラエティ番組にも活躍の幅を広げる。
学生時代は、槍魔栗三助(やりまくりさんすけ)の名で「喜劇研究会」「第三劇場」そして京大系の劇団「そとばこまち」で辰巳琢郎・川下大洋らとともに活動、「第三劇場」ではマキノノゾミと交流があり、「そとばこまち」では座長もつとめた。
1988年から1年間にわたって放送された、読売テレビの深夜のコント番組『週刊テレビ広辞苑』で漫画家のひさうちみちおらとともにレギュラー出演して人気を呼ぶ。以後も1989年の『現代用語の基礎体力』、1990年の『ムイミダス』など同じく読売テレビの深夜番組に続けて出演し、「劇団☆新感線」の古田新太や羽野晶紀、「賣名行為」の立原啓裕、升毅、牧野エミらとともに関西学生演劇ブームを起こす一端となる。
1988年、NHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』への出演を機に現在の名前へと変更する。
芸名改名のきっかけ
1988年度下半期(1988年10月~1989年3月)放送のNHK連ドラ「純ちゃんの応援歌」に出演することになったが、槍魔栗三助の芸名ではNHKの放送にふさわしいとはいえないという理由があり、芸名を本名に変更したという経緯がある。その後も槍魔栗三助として活動していたが、本格的なテレビ活動・全国進出を意識し1990年10月に生瀬勝久に完全改名、現在に至る。
なお、本人がテレビ朝日「ロンドンハーツ」2006年7月25日放映回で語ったところでは、母親の政治活動へ悪影響を与えかねない芸名だから改名してほしいという要望があったためともいう。
余談だが、このドラマに出演した紅萬子も、同様に名前がNHKの放送にふさわしくないという事由でこれに限り「くれない·まこ」としたことがある。他にも番組ではないが、浅草キッドの玉袋筋太郎なども同様の理由でNHK出演の際は本名等になる(これらについては当該項目参照)。


